闘病生活を乗り越えて見えた、新しい視点

秘密基地のようなアトリエでモノづくり

『家庭保育園 ひだまり』のオーナー・上原さんが造り上げたひだまりの森に、旅人のような自由な雰囲気を纏う青年がいる。

ファッションデザイナーの阿部 貴之(あべ たかゆき)さんだ。

2011年に現在の前身となる活動を始め、2020年にブランド『NOUMU(ノウム)』を立ち上げる。主に革を使ったバッグや服を販売している。アトリエのあるひだまりの森には、ショップも隣接されており、今年の5月頃にオープン予定。

牛の皮を用いて制作されたサンプルのバッグ

馬小屋をリノベーションしたアトリエは、微かに木の香りを感じられ、業務用ミシンや革用のミシンなど、たくさんの道具が並ぶ。

まるで、宝物が所々に散りばめられた秘密基地のような雰囲気だ。

音更町で育った阿部さんは、高校卒業後にファッションを学ぶために東京の『バンタンデザイン研究所』に入学。

デザイナーとして人生が大きく動いたのは、3年生の時に応募した「新人デザイナーファッション大賞」。同コンテストは1万5千人の応募総数を誇る世界一規模の大きなファッションコンテストのひとつだ。そんなデザイナーとしての登竜門であるコンテストで、阿部さんは特別賞と秀作賞を受賞した。

授賞式の様子

「その当時、両親をコンテストのステージに連れていってあげたいという気持ちが大きかったので、東京まで招待をしました。受賞した時に両親が喜んでくれたのが、素直に嬉しかったです」。

副賞として、イタリア・ミラノへの留学の切符を手に入れて、イタリア・ミラノの地でデザイナーとして道を歩み始めた。

これが21歳のことだった。

デザイナーとしての重圧と責任

イタリア・ミラノでの3年間の生活が始まった。

ミラノの大学院に通いながら、パリのポンピドゥーセンタービル開催のインスタレーションにてプラダのアニメーション製作を任される。その他、イタリア気鋭のブランドとのコラボや個展など、デザイナーとしても精神的に活動を行う。

そして、世界的に有名な往年のファッションデザイナー、ロメオ・ジリやチンツィア・ルッジェリに声をかけてもらい、23歳の時に個展も開催した。

たくさん準備を重ね、個展は大盛況だった。しかし、大舞台を終えるたびに周囲からの期待やさらに美しいものを作り続けなければならないというプレッシャーにより、心身ともに疲弊していった。

そして、ある日体調に異変が起こる。

「突然の強い吐き気と離人感(人や物との間に隔たりがあるような感覚)に見舞われ、日常生活自体が困難になりました」。

日本に一時帰国し病院へ。診断されたのは、うつ病。完全帰国を余儀なくされた。

「当時抱いた気持ちは、今まで努力で積み上げたものすべてをミラノに捨ててきた心境でした。帰りの飛行機でひとり絶望し泣いていました」。

そこから、5年間にわたる闘病生活が始まった。

壮絶な闘病生活を乗り越えて

「とりあえず、都会の騒がしさから離れたかったんです。なので、東京ではなく音更町に戻ることにしました」。

うつ病と診断されてから、慣れ親しんだ地元・音更町で治療に専念することを決めた。

闘病中は、家族の優しさや温かさが身に染みたとしみじみ語ってくれた阿部さん。

「親友のように何でも語り合える母と考え方や思いやりの深さを尊敬している父の支えがあったからこそ、闘病生活を乗り越えることができました。本当に家族には感謝しています」。

体を休めることを優先的に、デザイナーとして作品作りは続けていった。

体調も回復してきた頃、自分と同じように精神障害や多様な障害を抱える人と共に、様々な障壁を超えていくようなインクルーシブコミュニティを創り出すことが出来たらと考えた。

そして帯広市にある就労支援施設にて、アートディレクターとしての活動を行っていくことになった。

生活支援員として働きながらもアートディレクターとして、様々な特性を持った人が創る作品を広めるという活動を行う。

「障害とはユニークな凸凹、つまり大きな可能性に満ちた個性。様々な垣根を超えて福祉領域などという言葉や膨大な障害名、ジェンダーの多様化などによって生まれた新たな言葉の数々、そしてその言葉によって分断されていく社会をフラットにしたいという想いがありました。一種、スタッカートの無いメロディアスな社会になればと」。

アートを通して利用者と交流を深めながら、革製品を使った製品を一緒に制作したり、施設の利用者のアート作品が並ぶ展示会を開催したりと、阿部さんが掲げる理想の社会の現実に向けて1歩ずつ進んだ。

利用者と一緒にギターを弾くこともあった。

「展示会を開催した時に、400人以上の方が来場してくださって、利用者の方達の作品を見てくれた。その時に、インクルーシブな社会が実現されているのではないかと思い嬉しくなりました。これからも福祉の取り組みは行っていきたいです」。

また、ファッションブランド「TSUXURA(つづら)」を立ち上げ、東京でアート&ファッションイベントも開催したりと、デザイナーとしての活動も精力的に行った。

長かった闘病生活を終え、1人の人間として、デザイナーとして、自分が何をしたいのか少しずつわかってきた。

そして、障がい者支援施設を退職した後は、ひだまりの森を立ち上げた上原さんに声をかけられ、自身のブランド「NOUMU(ノウム)」のアトリエ&ショップをオープンさせる。

デザイナーとして自分ができること

「NOUMU(ノウム)」とは、濃霧のこと。

「うつ病を発症した当時から、見渡す限り濃い霧がかかったような感覚になり、存在の意味について考えるようになりました。しかし濃霧とは生命が呼吸をしているということ。この濃霧に包まれた景色こそが今ここで生きているという存在の証明でした。濃霧(意味喪失もしくは意味そのもの)においても目を凝らせばそこに意味という生き物がいる。意味を付与することの出来るクリエイションをしようと思いこのブランド名をつけました」。

イタリアで活動していた時から、革という素材に興味を持ち、制作を始めた。

日本に帰国してからも作品を作り続けている。

「うつ病を発症する前は、恋をモチーフに詩的な作品を作ることが多かったのですが、今は哲学的な作品を作ることが多くなりました。価値観は大きく変わりましたが、根本的に追及していることは変わりなく、生と死を題材にすることは今も昔も変わりないです。ただ単純に少しは大人になったのか、抽象的な感情論から精神医学的観点に変わりました」。

イタリアでの留学、闘病生活、福祉施設での活動。

様々な経験を経て、たくさんの景色を見てきた。

濃霧が晴れた時、阿部さんはどんな景色に巡り合うのだろう?

阿部さんのこれからの活動が凄く楽しみで仕方がない。


NOU・MU(ノウム)

住所:音更町字東和東2線59番地9

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