地域おこし協力隊着任から1年が経ちました

こんにちは!

今日はわたしが音更町の地域おこし協力隊に着任して1年が経ったので、音更町に対する想いやこれからのビジョンなどを語らせていただきたいなと思っています。


北海道日高町の出身の私が音更町の地域おこし協力隊に着任したのは、1年前。

それまでは名古屋の出版社で編集者として働いていました。

約3年働いたのち体調を崩し、北海道へ帰ろうと決意。

親元を離れて、友達も知り合いもいない土地で激務に追われる毎日は相当体にもストレスを与えていたんだと思います。

北海道へ帰ったら何をしようかな、と考えていたら、ふと頭をよぎったのは、名古屋へ行く前に少しだけ興味が合って色々と調べていた“地域おこし協力隊”という仕事。

せっかく北海道へ帰るのなら新しいことに挑戦してみようかなと求人を見るようになりました。

色々なサイトを漁って見つけたのが音更町の求人。

業務内容が観光PRだったので、これなら私が今までしてきたライティングやSNSでの発信などが生かせるのではないのかと思い応募を決めました。

正直、この時点では音更町という存在を知らずに十勝にも行ったことがない状態。

実家から3時間ぐらいならいつでも帰れるし、帯広も近いし、まあなんとかなるでしょ!という軽い気持ちでした。

今思うと結構無謀。。。(笑)

そこからはとんとん拍子で話が進み、音更町へ移住することになりました。

初めて音更町へ訪れたことは今でも覚えています。

「え、思ったより全然都会!!」

これが私が音更町に来て初めての感想でした。

家が木野通り(音更町で1番栄えている地区)にあるということもあり、

周りにはお店やマンションがたくさん。

畑が広がり、牛の鳴き声が響きわたるのどかな町のイメージをしていたので、少しだけ残念でした。

(↑音更町でも農村部ではこの光景が広がっています…!)

まずは音更町のことを知りたい!と思い、日々の発見を綴る『Cocco』というサイトを立ち上げ、カフェや地元の人が通う定食屋などなど、自分の足で行き、感じたことを発信しました。

そこで、同時に始めたのが音更町で活動する“人”の取材。

美味しいご飯も魅力的な場所も素敵だったけど、やっぱり私が1番注目したかったのはその地域に住む“人”でした。

初めはただの好奇心だったかもしれません。

音更町に住む人がどんなことを考えて、どんな人生を歩んで、どうしてここに居るのか気になって仕方がありませんでした。

ご縁があって、初めて取材したのは『丸美ヶ丘温泉』の後藤さん。

この取材は私の考え方を変えた大切な出来事になりました。

後藤さんを纏う雰囲気や穏やかな表情も素敵で、取材が終わった後も心の

ポカポカは消えないで、いつもよりぐっすり寝れたのを覚えています。

それから木野珈琲の余語さん、はるこまベーカリーの小林さんなど

ありがたいことに、色々な方を取材させていただきました。

取材を重ねるたびに、私は音更町をどんどん好きになっていました。

食べ物や場所でなく、1番魅力を感じたのは、どうして“人”なんだろう?と考えた時に、あるひとつの結論に至りました。

“悩んだ時、落ち込んだ時、もうダメだと思った時に救ってくれたのは結局は誰かの存在だ。どんなに美味しい食べ物だって、素敵な物だって、誰かと共有しないと魅力は意味のないものになってしまう”。

自分が挫折しそうになった時に助けてくれたのは、“人”でした。

正直、名古屋にいた頃は人が嫌いでした。

自分も含めて、人は自分勝手で平気で人を傷つける。

来世は絶対に人には生まれ変わりたくないなあ。とさえ思っていました。

だけど今は違います。

人が大好きで尊くて愛おしい。

どんなに嫌だなと思った人だって、いい所は絶対あって、

そこを見つけてあげられれば、嫌いという感情も消えていく。

そんな考え方になると、人に対する接し方も自然と変わっていきました。

それを気づかせてくれたのは、間違いなく“音更町”の存在です。

正直、“地域おこし協力隊”より“音更町大好き女子”の方が私にはしっくりきます。

町をおこすぞ!ではなく、この町が好きだからみんなに伝えたい。

仕事だからではなく、素直な気持ちでそう思っています。

なので、私はこれからも音更大好き女子として、自分が素敵だと思ったモノ・コト・ヒトの情報を発信していきたいと思っています。

こんな素敵な人が住む町なら行ってみたいなという人が1人でもいてくれたら嬉しいなと思っています。

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